Here and Now|2008.05.26 / Flip
北久宝寺という繊維問屋街の片隅に " 食を通じ、安らぎと刺激のあるちいさな文化施設 " をコンセプトに、カフェという枠に収まらない、情報や人の出会いを生み出し紡いでいく希有な空間だったコンテンツレーベルカフェはありました。美味しいキッシュや香しい珈琲と共にみんなに愛され、もうすぐ10周年という2006年、火災被害という不幸な出来事で閉店。ワタクシ含めみんなの心にポッカリ穴が空き、復活を願う声は溢れるも、すぐにどうこうという簡単な話ではないよなぁ〜と満たされない日々を過ごすこと1年。待てば海路の日和あり。装いも新たに「millibar(ミリバール)」を昨年夏にオープン。ギャラリーも併設し新たなる文化施設として次なるステップを踏み出しました、そんなmillibarの運営会社であるARTNIKS代表の奥山泰徳さんにちょっとお話を聞いてきました。
O:奥山泰徳
U:underson
そもそもARTNIKSって何してる会社ですか?
今は会社組織になってますけど、もともと兄がイベントの企画とかライブペインティングとか音楽のイベントとか、何屋か分からない感じで、いろいろ好きにやってたんですけど、ある時、自分は何屋なんだろう?という自分との戦い、迷宮に入り込んでしまって、それで1回距離置こうとしてたタイミングに僕が大阪に出てきたんですよ。で兄は実家の家業を継ぐ為に愛知に戻ったんですが、1回休んだものの、大阪に出てくる度色んな人に会っていくうちに、もう1回何かやりたいって思ったみたいで。でも実家の家業継いでるんで「俺は動けんけどお前と一緒に出来んか?」って。でその時「お前何がしたい」って言われ「カフェやりたい」って。そういう流れで店からスタートし、店を背景にいろんな方面に仕事が派生していった感じ。だから自分も何屋か分からん感じです。
何でそこでカフェやりたいって思ったんですか?
接客業が好きだったんですよ、人に触れるとか
あくまでイメージから入っちゃってるんですけど
カフェってカッコいいかなとかも会ったんですけど正直(笑)
コンテンツレーベルカフェは残念ながら2006年火災被害で無くなってしまったんですが、またお店始めましたよね。もうお店やらないって思ったりしませんでした?
思ってましたよ、なんか思ってました。
遠方で火災の知らせ聞いたんですけど、その知らせ聞いた時、
まずはケガ人と火元が気になるじゃないですか、代表だし。
でも両方とも大丈夫だって分かった時点でもう今から何を思ってもしょうがないなって
「あ、そう」みたいな。
現場見たら全部燃えてて、なんか悲しいとかどうこうよりも
もう覚悟してた感じで
僕にしか分からないかもしれないけど、
若い時(21才)から始めたんで、ようやく解放されたみたいな。
これを理由にポーンと1回切り替えれるわって
色々リセットできるかもとかって。
自分でリセットするのってなかなか難しいんですけど
いい意味で強制的にリセットされた。
そこでガッカリして終わるのか、それでもやり続けるのか
さぁどうするか?って事の方が重要で
気持ちばっかしじゃないけど、まず気持ち。
やり方も重要ですけど
僕は次にいきたいなって。
その時、店っていうのは無かったんです。
店をやってる時は取材で
「どういう想いでお店始めたんですか」って言われても
答えてる一方で、常にもう先の事考えてたんですよ
明日の事考えたり、維持せなあかんから売り上げの事考えたり
来週のイベントの事考えたり。
だから店がなくなって、
ようやく、肩の荷が下りてホッとしてノンビリできるわ、
店の事もスタッフのことも接客のことも考えずに
自分のペースで出来るわって思って。
実際、日々淡々として最初はすごく良かったんですけど、
だんだんそれが虚しく思えてですね
店をやってて、当たり前に人が来てくれたり、情報もらえたり
いろんな意味で店があった背景が大きかったんだと
でも店が無くなった時それが当たり前でなくなった
無くなって初めて理解出来て
初めて振り返る事が出来た。
それに気づいた時、なんかもう1回店したいなってだんだん思ってきたんです。
また店やるって聞いた時、コンテンツとは雰囲気の違った店やればいいのになぁって思ってました。コンテンツの雰囲気ってその当時の奥山さんであって、コンテンツファンはガッカリするのかもしれないけど10年近くたった今それをやるのはちょっと違うのかなって、人事ゆえ。でmillibar出来たらちょっと違ってたんで「そうですよね」って感じでした。
やるってなった時、今の感覚でやりたくて。
みんなお店の名前変える言った時驚いてたんですよ
みんなの中では無い事だったんですけど
僕の中では同じ名前って事が無いことだった。
コンテンツレーベルカフェっていうのは1回終わってるから。
何かが自分の中で次にいってないとやる意味ないと思ったんですよ。
コンテンツもそうでしたけど今回のmillibarもどうしてちょっと外れた場所に店出すんですか?
繁華街は嫌だし、かといって離れすぎるのも嫌
僕なりのポイントとして
100%成り立たない所は無理っていうのもあるんで
だから中途半端な場所になってしまって。
ちゃんと売り上げも確保していかないといけないんですけど、
一方で試してみたい、試せる余地を残していたいと思ってて。
ちょっと余白を置いておきたい
ここに店を出す事によってこの場所がどう変わるかを見てみたい。
そこに参加することで地域というかコミュニティーの一員になるような。
カフェ好きなお洒落さんだけじゃなく、近所のオッチャンやオバさんが一緒に集ってるカフェが僕は好きで平日のコンテンツってまさにそんな感じだったじゃないですか。
僕今でも忘れられない光景があって
平日みたいなランチタイムのピークタイムもない日曜日、
なんかダラダラと時間が過ぎていく中で
いつも来てくれる近所のおじさんが
のんびり珈琲飲んでる光景なんですよ
その空気感と距離感がすごく好きで
でもどうなんすかね?
「ARTNIKSって何をやってる会社ですか?」って聞かれて今でも悩むんですよ
名刺の裏にやってる事書いてるんですけど
(インテリアデザイン、商品開発、イベント企画・運営、グラフィックデザイン、店舗・ギャラリー運営)
明確にした方がいいのか、しないほうがいいのか個人的にはすごく悩みます
ブレてない軸とか想いがあれば、いろんな事やってても全然いいんじゃないかと思いますけどね。
ウチ、内装も軸としてやってるんですけど
そこへ来た背景が内装屋というのとはちょっと違うんですよ
コンテンツやってた時、
雑誌編集の人、映画関係の人、音楽関係の人、アーティストとか
人が人を連れて来てくれて自然とものづくりの人たちが集まってきたんですよ。
そういう人達と触れる事で店以外に興味が出たんです。
接客って言っても珈琲出すという事だけでなく
相手が何を求めてるのか、こういう対応したらいいんじゃないか
店づくりってこうしたら居心地良くなるとか
そういう流れの中で内装も出てきた。
全ての事が店の延長上なんですよ
ある意味、不明確ですごく説明しずらいんですけど
自分の中では1つ筋が通ってる。
どう空気創るかっていう所に集約されてるんです
もうそれが全てだと思います。どう空気創るか。
どういうムードに仕立てるかって一番大事だと思います。
内装も、内装だけでは終わらないと思うんですよ
そこにハマるグラフィックが来て、接客、スタッフの教育とか。
ウチで出来る範囲の事もあれば、人にお願いする事もある
だから全体なんですよ
そこでの僕の役割はバランスを聞いて拾うコーディネーターって位置。
逆に聞きたかったんですけど、こういうの(Flip)始めてるじゃないですか。
デザイナーなのにライターのような。
でも仕事の中でクライアントがいて、デザインに落とし込む時に
やっぱいろいろ相手の話聞かなあかんじゃないですか?
意外にインタビューというカタチで経験してなくても
相手の本質を捉えたり、色を変えたりカタチに置き換えたりするのと
同じ作業なのかなって
全く違う事と想てったのが
意外に根本の働かせなあかん所は一緒のような気がして
どうなんすか?
一緒でしょうね。地続きな感じで。
アウトプットの見え方が違うという表面的な事だけで。
相手の話を聞いていかに自分なりに理解し、落とし込み、どう広げるかみたいな
僕としては違う事をやってる感覚はあまり無いかもしれませんね。
分かってても言葉にできなかったり、イメージに置き換えれなかったり
なんとなく好きって部分もあるじゃないですか
内装も「なんとなく」を有る程度キーワードにしていかなくてはいけなかったりするんですよ。
クライアントさんとのやり取りでも、最終的には自分の感覚をどう拾えるか
カメラマンさんに撮影お願いする時、一応撮ラフとか書きますけど、
これ渡すけどコレ超えてね!ビックリさせてねって感じ。
お互いの想像の上をいくせめぎ合いみたいな。
その掛け合いって面白くないですか?
すごい大変な作業だと思うんですけど
根本は分かり合ったメンバーで
方向はブレないながら「こう来たか」って。
「例えばこういう風」って言いながらもこうはしてほしくない訳ですよね
例えばが決定になるのは違う
それをどう汲み取ってさらにどう来るかみたいな
それって生む過程のやりとり
そこにストーリーが出てくるかもしれない
内装とかもそうで、工事の人にどう伝えれるか
職人さんとのやり取りはイッパいあるんですよ
「こういう風にしたい」「そうしたら汚いで」
「汚いとかじゃなくそれでいいんですよ」
「こんなんがええんか」「こんなん出来へん」
ってポーッンと突き放すんですけど
気付いたらやろうとしてくれたりするんですよ
通じたらやってくれて
「こんなんがしたかったんですよ」
「こんなんがええんかワシら分からんなぁ」とか言いながら
実際そのやりとりが面白いんですよ。
すごいいい関係になれたりするし。
すごくしんどいですけど健全ですよね。
また、ちょっと聞きたいんですけど、
今プロダクトデザインを真剣にやっていこうと思ってるんです。
でも、ウチはそれで成り立つってのは無理だと思うんです
成り立ってる内装とかやりつつ、片方でそういうプロダクトをやる。
自分達のやりたいカタチはあるんですけど
でもコンセプトが売れるようなスタンスで始まってないんですよ
本当に自分でやりたいものとデザインとしての整え方って違うのか一緒なのかなって
世の人に多く知ってもらった方がいいデザインなのかって?
難しいところですよね。アートかデザインかみたいな所とかもあるし、
僕もインディペンデントな部分からデザインに入っていってるんで思いはすごく分かるんです。
いいデザインが必ずしも評価されそれが売り上げに即繋がるかって言ったら正直そうでないのが現状ですよね、流通とかシステム的にも。
でもいいデザインと自分で納得してカタチにしたものってやっぱり多くの人に知ってもらいたいって気持ちがあるじゃないですか?
そこへ持って行くにはどうしたらいいんだろう、
この場は1歩引いたら2歩目は理想に近づくかもしれないみたいな。
それはよく言う魂を売るとは全然違う感じの。
それに売れるモノを作ったら次に絶対繋がって行くはずだし。
職業的なものかもしれませんが僕はそんな感じですかね。
ARTNIKSがスタートさせたプロダクトデザインブランド「peg」と布の可能性を追求する、素材と加工のアトリエショップ「FIQ」とのコラボレーション第1弾商品は、ハンカチのある毎日をすごそうをテーマに、peg × FIQが考える、あくまでもハンカチでありながら、ハンカチ以上に楽しみたい、そんな気持ちを込めた商品たち。
デザインを突き詰めようと思ったら
さらに良くするには視野広げたとこにあって
実際平面だけだと思ってたら、頭の発想は立体だったりとか
そういうのってないですか?
それはそうですよね。一部分だけ見てたら大きな部分が見えづらいみたいな。
macの前で考えてても出て来るものってしれてるはずですからね。
接客も突き詰めていってたら店以外に興味がいって
もっと良い店にしたい、もっとお客さんに満足してもらいたいって思った時、
勉強するのは飲食の事だけじゃなく
映画観にいったり、美術館行ったりていうのがあったんですよ
より良くしていこうと思ったら
スッと視野広げたり、違う人みたらすごい発見があったり
自分の当たり前を崩してくれる
世の中こんなに広いんだって。
ある部分ばかりに神経がいってて自らモノの見方を窮屈にしてしまってる人っていますよね。
デザインの外にこそデザインがあるみたいな。
オッサンの小言みたいで嫌なんですけど(笑)
やっぱりもっと色んな視点でモノを見れたらいいのになって思います。
意識さえすればデザインやアイデアは街中に溢れ返ってますから。
そこで得た情報をどう落とし込むか
どう自分の感覚にするていうのがしたい作業なんですよ。
今情報っていっぱいあるじゃないですか?
自分の感覚とか情報に落とし込むことが出来てないと。
逆にそれが出来てたら、さっき言ったような
何やってても自分の中でブレてなければOKなのかなって。
ハンドルの遊びは重要って教習所でも言ってますから。
自分の頭の中にあるものを明確にヴィジョンとして出すタイミングがあるんですよ。
ウチは組織としてやってる以上、働いてるスタッフにそれを伝えないとみんながブレたり、
みんなが頑張ろうとしても頑張る方向が分からんくなったりすんるんですよ。
そういう時に初めて資料にしたんですよ。
ウチのコンセプトノートを作って。
そこにはどういう背景でmillibarを始めて
ギャラリーを何でやってるのか、それはどういう図になってるのか
人の指示はどうなってるのか、そこで生まれたこれはどうなってるのか
全部図にしたんですよ
考えもテーマも。これからしていきたいこと。
前は必要ないと思ってたんですけど
ある意味自分が迷わないためにとか、自分が頑張る方向をブレないために。
スタッフにも時々示さないと頑張る方向がちょっと乱れる時があるんですけど。
「ココでしょ」っていう核の部分が決まってたら少々の柔軟性はあってもいいかなとか
聞いてばっかりなんですけど、
若い頃の自分のデザイン見てハッとする瞬間ってあるんですか?
技術でいったら低いと思うんですよ
でもその時にしかない若いがゆえの感覚って感じることあります?
それはもう無茶苦茶ありますね。めちゃくちゃヘタクソなんですけど、
我ながら変な発想してる、自由に発想してるなって。
やっぱり長い事やってると小慣れて小手先や経験でやってしまう部分もあって。
だからたまに意識して見ますね。
昔の自分に「小さくまとまるなよ」って叱咤激励される感じ。
だからウチもポートフォリオだったり会社案内的なモノ作りたいんですよ。
それはもう「間違ってないか?ブレてないか?」って己を確認するために。
そう思えるのっていいなぁ〜って。
人によっては恥ずかしいとか言いますけど、
その時なりの自分で作りあげたものじゃないですか
他の誰でもなく自分がやったことじゃないですか
自分がやった事でハッとしたり教えられたりその感覚って
過去を振り返るとか、過去にしがみつくとかじゃなしに
次に行くためのステップとして。
店という小さい世界だけにいたら
ここで店やってる時間、他では何が起きてるんだろうとか
知りたくなってくるんですよ
可能性って、人からは何と言われようが
自分が本当にそこを目指そうと思ってたら
まず、やりたいって思うかどうかじゃないですか
そう考えると
やりたかったら、そうやれる方向に考えるじゃないですか
やりたいけど…で終わってたのが
だんだん嫌になってきて
もっと自分の世界広げたいなって思って
こんな真面目な話するつもりなかったんですけど(笑)
Relation Link
ARTNIKS http://www.artniks.jp/
millibar http://www.artniks.jp/millibar/
Shop Photo: Shunsuke Itou
ワタクシundersonがちょっと気になるアンチクショウと旨い珈琲でも飲みながら肩肘張らない丸腰放談の中からクリエイティブの薬莢を見いだす針小棒大なコーナー。
Editor/
tsutomu horiguchi
from underson
2012.11.20 Tue